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はてな広報ブログ

株式会社はてなの広報ブログです。ウェブサイト「はてな」の話題やイベント情報、サービス開発の裏話など多彩な情報をお伝えします。

座談会 ネット時代のこころを探る(ゲスト 近藤淳也)【中編】〜京都大学こころの未来研究センター学術広報誌『こころの未来』〜

jkondo

(本内容は同センターの学術広報誌『こころの未来 vol.3』掲載記事をセンターの許可を得て全文掲載したものです。)
※この記事は【前編】の続きです。座談会 ネット時代のこころを探る【前編】

座談会 ネット時代のこころを探る【中編】

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インターネット時代を迎え、人のこころのあり方、あるいはこころの捉え方はどのように変わりつつあるのか。常識にとらわれないウェブサービスの会社「はてな」を運営する近藤淳也さんをゲストにお迎えし、センターの助教が縦横に議論する。

新しいツールで新しいコミュニティをつくる

内田 ネットを使うことについての世代差みたいなのはあるんでしょうか。もうちょっと上の世代には抵抗感があるのかもしれない。
近藤 そうですね。でも、そういうのを乗り越えれば、たくさんの人と、とくに自分と興味が合う人と出会えるのは基本的にはうれしいことだと思うし、自分が思いもよらない人から認められたりすることは嫌だと思う人は少ないんじゃないでしょうか。そういう機会を与えてくれるものとしての魅力が、だんだん勝(まさ)ってきているのかなという気がします。
平石 ローカル・コミュニティがなくなっちゃったので再生しないといけないみたいなことが言われるけれども、昔に戻そうというのは空しい話です。それより、この新しいツールを使って、新しいコミュニティをつくっていくほうが面白い。だんだんコミュニティがつくれる状況ができてきているところなのかもしれないなと思います。
内田 私は、研究者のコミュニティもそういう感じでつくれたらいいと思うんです。それこそ単に情報を検索するだけじゃなくて、ふと行きたいと思うようなコミュニティ。
平石 脳神経科学系の人たちなど、もともとコンピューターに強い人たちは、ブログで情報交換をしたり、かなり突っ込んだ議論をしたりしているようです。
内田 統計でも新しいツールが開発されたら、「みんなここへ意見を書き込んで」みたいなことをやっているようです。センターもそういうふうになればいいなと思っています。吉川センター長がよく「里山モデル」と言うように、まさにコミュニティですね。いろんな人がふらっとやって来て、研究をして、議論して、新しいものをそれぞれ身につけて去っていく。
近藤 それは場としてあるんですか。
内田 うちのセンターは、外から来た人が滞在することはけっこうあります。外国からもやって来て1〜2カ月滞在して研究してもらう。あと、プロジェクトを一般公募して外部の人とセンター内部の研究者が共同する枠組みをつくってもらい、研究費を配分するなどしています。これからはそれだけではなく、ウェブ上でコミュニティをつくって、研究内容とか「こういうテーマでやってみたら面白いんじゃないですか」みたいなことを議論してもいいのかなと思います。
近藤 いいですね。「はてなグループ」を使ってくださいよ。僕は会社として1個グループを持っていて、さらに各チームとグループをつくってやっているんですが、かなりいいんですよ。メーリング・リスト*1とは全然違う。ぱっと来て見られるのと、見たかったら見てくれたらいいみたいな感じなので、あまり押しつけがましくない。だから、いっぱい書ける。
内田 それはいい。例えば、私たちはプロジェクトを複数の研究者で進めますが、なかなか全員で集まる機会を設けるのは難しくて、それぞれのプロジェクトがどこまで進行しているかが互いに見えなかったりする。ウェブ上のグループを使って、互いの進捗状況を知ったり、それに対してコメントを書き込んだりできればいいですね。
近藤 僕は毎朝、パソコンで10個ぐらいのグループを順番にばーっと見るのが日課です。みんながそこにそれぞれ自分の作業の進捗状況を書いているので、そこを見ればだいたいわかる。あと、はてな取締役のUさんは、本を書くとき、編集者の人とグループをつくって、資料を持ち寄って、原稿もグループで書いちゃった。それを見ながら校正もしていたらしいです。
内田 それはすごくいいですね。

主のいないサイトはマスターのいない喫茶店

平石 最近、学生とコミュニケーションをとるために、大学の授業でe-ラーニング*2を取り入れているところが増えています。ところが、学生の反応が乏しいということをよく聞きます。「授業で使ったスライドを置いておきますよ」というと、それはみんなダウンロードしているらしい。だけど、それ以上は広がらない。
近藤 ツールにしかなっていないんですね。
平石 そうなんです。なぜコミュニティができてこないのかな。
近藤 それは、主(ぬし)みたいなコアな人がいるかどうかな んです。
内田 主?
近藤 盛り上がるコミュニティと盛り上がらないコミュニティは、主がいるかどうかみたいなところがある。主のいないサイトはマスターのいない喫茶店みたいな気がします。
内田 なるほど。それはわかりやすい表現ですね。コアの人の性質には依存しないですか。
近藤 多少あるんじゃないかな。公平さとか、オープンさ、どういうふうにいろんなことが決まっているのか、どんな価値観があるのかみたいなことは、見えないよりは見えたほうが安心です。
平石 集団の力学を考えると面白い。ネットワークであろうと、顔を合わせてやろうと、基本は同じということが改めてよくわかる。それが人間の面白いところですね。
内田 社会心理学では、「集団」と「集合」は違うとよく言うんです。「集団」というのは、ある程度目的があって集まります。例えば、行列に並んでいる人は単なる集合体で「集団」ではない。ラーメンを食べたいという個人個人の意識だけであって、全体的なものは何もないんだけれども、「集団」になると、もっと全体的な目標みたいなものや指向性が生まれてきたり、1つの公正感やルールに則っていこうとする。ネット上の関係性もみんなが単にツールとして使う段階は「集合」で、ツールとして使う以上に、自分が何かコミットしてみようというふうになってくると「集団」になっていくのではないでしょうか。「集団」が「集団」らしくなるために、コアの人の力が必要なのかもしれないですね。
平石 コアな人のモチベーションはいったい何なんだろう。「協力の進化」を考えるとき、だれか1人、「とにかくおれは協力し続ける」みたいな変なやつが出てきたら協力が促進されるのか。そういう人のモチベーションはどうやって維持されるのかは考えてみてもいい問題だなと思います。
近藤 公務員みたいに、使命感のようなものがあるんじゃないですか。
内田 確かに使命感がないとね。
平石 ただ、使命感でおなかは膨れないですよね。どこかでその人がちゃんと利得を得ていないと、最終的には損をしてしまう。マスターががんばっているだけで喫茶店がもうかるわけでもないですよね。
近藤 それはいろんな幸せを感じる人がいて、少なくとも金銭的なことじゃないですね。でも、そういうことっていっぱいあるんじゃないですか。飲み会をすると幹事をやってくれる人とか。
平石 幹事がどうやってそこから何かを得ているのかというのは、考えないといけない話かなと思います。メンバーにコアを置くことでどうやって協力が立ち上がり得るのか。
近藤 感謝という要素があるのと、1人ではできないことをやった達成感みたいなものがある。
平石 一番わかりやすいのは感謝ということで、その人が困っていると、みんなが助けてくれることでちゃんとペイしていることになるんだろうな。
内田 ある研究で、ずっと協力し続ける人と、やってもらったときだけやり返す人と、全然協力しない人みたいなのを分布させた。普通だったら、やってもらったときだけお返しする人が一番強いはずで、ずっと協力しているお人よしさんは消えていくんじゃないかと思いますが、何回もやってみたら、常に一定数のお人好しさんが生き残ったそうです。もしかすると、こんなお人よしさんが一生懸命がんばっているんだから、何か支えてやろうみたいな人が出てくるのかもしれないと思うんです。そういう人たちがいないと、集団としてはうまく機能しないみたいなこともあるかもしれない。

一番高い次元の喜び

近藤 社会的な正義というか、正しいことをしようみたいなことって、あるんじゃないですかね。
平石 それは間違いなくあると思うんですが、例えば、それがニホンザルにあるかといったら、たぶんないだろう。なんで人間にはそういうものが生まれてきたのかを考えたい。
近藤 人の喜びを自分の喜びにするのが一番高い次元の喜びという感じじゃないですか。
平石 人間にはそういうところがありますね。
内田 役に立っている喜びみたいなものですね。
近藤 「自分は1回死んだ、後はほかの人のために尽くす」みたいな境地に達している人を見ると、自分の生への執着みたいなものを超越しているような人がたまにいるなという気はします。
内田 そういう人を見たとき、周りの人が、何かお返しをしたいと感じるのではないのでしょうか。その人に直接にではなくても、その集団全体に。それで、犠牲になって身を粉にして働いている人がいると、集団全体の利益が上がるんじゃないでしょうか。それは「共感」する人間だからこそできることであって、例えば1匹のニホンザルが一生懸命イモを洗っていてもたぶん他のサルは何も思わない。あの人はいろいろ苦労しているんだろうなとか、時間を割いて考えているんだろうなと背景を読み取ったり、共感するからこそ、そこに心理的負債感みたいなものが生まれて、自分も何かしてあげなきゃいけないという人が一定の確率で増えるんじゃないでしょうか。
森崎 自分も同じように行動したいというような気持ちが生まれるのかもしれないです。
近藤 犠牲に対しては、ある種の感動みたいなものを感じますよね。
内田 犠牲は人を動かす力がある。犠牲みたいなことがテーマになった映画とか本がこれだけ世の中にたくさんあるのを見ると、やっぱりそれが何らかの形で人を動かす原動力になっていると思うんです。それを読んで、自分もそれと同じようなことをやってみたいというモチベーションになったりする。『アルマゲドン [DVD]』という映画がありましたね。
平石 地球に接近する隕石を爆破させようとして、自分だけ残って、娘の婚約者を無理やりロケットに押し込んで、「おまえは帰れ。おれは1人で行く」。そういう見返りを期待しない犠牲というのはあると思うんです。それがなんであるのかは、進化のモデルを考えるとき、ずっと謎になっています。人間は大昔はすごく小さなグループで暮らしていた。まったく見知らぬ人が存在するというのは、人間の進化でみると、ものすごく最近の出来事だから、そういうところに人間のこころが追いついていないんじゃないか、そういう理屈で話をすることもあります。けれども、実はそういう人を中心にして協力的なグループができる、そういう力学が昔から存在してきたのかもしれませんね。
近藤 時間軸が長いだけなんじゃないですかね、報酬を求めるスパンが。例えば、昔の偉人で、そのときだけを見たら、なんでそんなことをするのかよくわからない人がいっぱいいる。キリストだって、なんで死ななきゃいけないの、みたいなことがある。でも、そういうのが歴史に名を残すというか、死んだ後も、いいことをしたとずっと言われ続ける。積算するとそのほうがすごい量をもらっていると思う。そっちに価値を見いだせば、純粋にペイしているという感じがします。
僕も生きているうちはそんなに取り返せないというのがわかっていても、死んだ後に称賛されるようなことができたらいいと思うんです。だから、「はてな」のネットサービスで、いま流行っているものをつくって1年だけやればヒットするというアイデアもいっぱいあるんですが、そういう刹那的なものはやりたくなくて、ある程度普遍的な価値のあるものを手がけたいと思うんです。
内田 でも、そういうスタンスでやっていると、すぐには結果が出ないことがあるでしょう。
近藤 あります。
内田 潰されていくみたいなことはないですか。もしかしたら10年後には芽が出るものかもしれないのに、いまはあんまりもうからないとかいって。
近藤 それは、すぐには数字が上がらない。だから、けっこう「はてな」のやっていることは、本当にこのやり方でいずれ大きくなっていくのか、日々考えて悩んでいるところです。
内田 それは研究とも似ています。研究費はすごく短いターム、3年とかで成果を出さないといけなくて、出なかったら打ち切られる。これは本当に苦しくて、とくに基礎研究とか社会科学系みたいなものはすごく長いスパンで考えないと、みんなに引用される論文とか、後に残るような本を書いたりするのが難しい。
近藤 それは無理やりやるしかない。
内田 自分がずっと抱えているものと、結果が割合に短時間でクリアになるものをバランスよく統合させるということも必要なのかもしれません。
近藤 いま、「はてな」のユーザーはすごい勢いで増え続けているんです。増えるペースがどんどんあがっているので、ある程度価値のあること、一時の流行りじゃないものを見極めてやってきたのかなとは思っているんです。そうやってつくっているものが、ヒトの進化みたいなものの最前線だったりする。べつに自分の名前が残るのでなくても、最前線の仕組みが「はてな」のプラットフォームの上で起こった。それが何かしらの形で残り続けている、みたいな状態があればうれしいという気持ちでやっています。
内田 それはすごくよくわかる気がします。

つながりのなかに浮かぶこころ

平石 人間にはこころがあることになっていますが、本当にあるのかなんてよくわからないし、自分のこころのことだって、わかっていなかったりするわけです。
時間感覚ですら、自分が物を取ろうと思ってこれを取ったんだと言っているけれども、自分が取ろうと思う前に、脳の中では取るための運動信号が出ているということもある。そうすると、自分の意識ってどの程度のものだろうと思うんです。自分らしさという意味でのこころというのは、社会的につくり上げられている一種のイリュージョンなんじゃないかなという感覚が僕の中にはある。
近藤 逆に言うと、人との間につながっていたりしないんですか。
平石 つながっているんだと思います。
近藤 つながっている。じゃ、1個ですか。
内田 1個というより、もっとネットワーク的なつながりじゃないですか。
近藤 でも、現実には孤立しているネットワークはないですよね。こころがある身体の中に閉じ込められた何かじゃないということになると、1個じゃないですか。
内田 1個というと、平板で、全部同じ色みたいな感じがしちゃうけれども、濃度が違うという感じを出したい。例えば、1枚の葉っぱでも色が微妙に違いますが、それと同じように濃度が違うと思います。
平石 例えば、平石界という人間は、ここをピークに存在していて、グラデーションがかかっていて、アマゾンの奥のほうにいる人のところまでつながっているかもしれない。でも、そこにある平石界の残像は、すごく薄いだろう。そういういろんなピークというか山があちこちにぴょこぴょこあって、それをその人の「こころ」と呼んでいるだけではないか。実は全部つながっているということですね。
内田 前提として、一応境界をつくるみたいなものですよね。例えば、平石さんをアマゾンに探しに行ってもいないということは、一応前提にしてやっている。
平石 だけれども、濃淡があって、つながりがなくなってしまったら山もなくなっちゃう。
近藤 つながっているって面白いですね。あと、成長していないと意味がないというか、変化していく。
内田 そう、だから濃度も変化するし、つながりも変化する。例えば、2人が知り合いではなかったときにはつながりは薄かったんだけれども、知り合いになったとき、その山のつながりみたいなものの濃度が濃くなる。そうすることで、お互いにまた別の変化をするということがあり得る。こころって個人の中に入っているというイメージがあるけれども、 私はあまりそういう感じでもないと思います。

街のこころ、人のこころ

近藤 そうすると、「街のこころ」みたいなものも考えられる。
平石 街のこころというのも、ある程度の集合ができると、あるのかなという気がします。僕は『攻殻機動隊』という漫画がすごく好きなんですが、あの漫画には「人形遣い」というテロリストが出てくるんです。この「人形遣い」はネットワークの中から生まれた「こころ」なんです。人間がみんな自分の脳みそを機械化して、自分の意識がネットワークと直結するようにした。すると、ネットワークの中から新しいこころが生まれてきたという発想をしていて、作者の士郎政宗という人はすごいなと思いました。街のこころというのも、それと同じようなものかもしれない。
内田 私は文化心理学で文化とこころみたいなことを研究しています。そういうときのモデルは、もともとこころが内側にあって、文化が外側にあって、そこでインタラクションしているみたいな話になるんですが、私はあまり境界がそこらへんにはないような気がする。まさに街のこころみたいなものがあって、そこに濃い・薄いがある。京都で長年暮らした人の京都人らしさみたいなものと、よそから移り住んで来たばかりの人の京都人らしさはたぶん違うんだけれども、そこに連続性はあるみたいなことを考えたいのです。でも、いざ実験をしようと思ったら、どこかで切らないといけない。この人たちが京都の人たちですよ、この人たちが東京の人ですよ、とやらなきゃいけないという面がある。だから、こころの研究もどうしてもぶつ切りになって、個人の動きとか、個人の脳の中身だとか、個人化される。しかし、本当はそうじゃないモデルのほうが説明できることはけっこうあると思います。
近藤 そういうのはモデル化されていないんですか。
内田 なかなか難しいです。
近藤 そうなんですか。でも、すごく納得感があります。僕は会社を京都とか東京とかやたら動かしているんですが、街の雰囲気みたいなものに敏感で、東京ではなかなかうまく物をつくれなかったんです。でも、アメリカに行ったとき、「こんな感じだったら、ベンチャー企業もいっぱい生まれるわな」とすごく思ったんです。人が何かに挑戦しようと思ったら決して批判しないし、「おまえなら絶対にうまくいくよ」なんて言い続ける文化がありますから。ああいう雰囲気は面白いなと感じました。京都は京都で、放っておいてくれる感じでそれもいいんですけれども、長い時間いると明らかに違いを感じるものは何なのかと思います。
内田 その話とは逆に、授業で「文化とか社会とか、状況によってこころは影響されるものです」みたいなことを話すと、学生から「そうしたら、本当の私はどこにあるんでしょう。怖くなります」という意見がけっこう出るんです。たぶんみんな、こころのモデルとして「本当の私」がどこかにあってほしいという願いがあるんです。そうしないと、怖い。自分が生きている意味が見えなくなるという感じがするんだと思うんです。でも、実はつながっているというところに意味があるかもしれなくて、本当の私みたいなものを守らなくても大丈夫だよと言ってもいいと思うんですよね。もちろん年齢によって、「本当の自分は何だろう?」みたいなことを考えるときもあって、どこかにあるはずだという前提がないと怖くなっちゃうというのはよくわかりますけれどもね。
近藤 歳をとると社会性みたいのが増していくから、そんなふうに思うのかもしれない。


後編「小中学生のネット・コミュニティの可能性」へ(12/2公開予定)

*1:メーリング・リスト:同じ電子メールを複数の人に同時に配信する仕組み。共通のテーマに関心を持つグループの情報交換などに利用される。

*2:e‐ラーニング:“e”はelectronic(電子的な)の略で、インターネットなどの情報技術を用いて行う学習のこと。